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プロゴルファー
丸山 茂樹さん |
平成元年卒業
ゴルフ部 |
名門、日体荏原高等学校へご入学を志望される皆さん、立派な多くの先輩を輩出している当校へ、是非ご入学される事を、先輩の一人として切望しています。
「馬には乗ってみろ、人には添ってみろ」と云う言葉が有りますが、入学されたら、実感されると思います。
「入ってよかった」と!!
何かの機会に、お会い出来る事があればと思いますが、それまで共々に、「心・技・体」を一番大切な時期に鍛えあおうでは有りませんか。
「青春は熱であり、意気であり、顧みる時の微笑」です。 |
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(有)エスアールシーカンパニー
代表取締役
佐藤 弘道さん |
昭和62年卒業
器械体操部 |
「夢」を持って前進あるのみ!!
私にとって高校生活は、人間形成の基本を学ぶ最高の3年間でした。先生方との関わり、先輩・後輩の上下関係、沢山の友人、そして器械体操部での地獄の練習、礼儀や言葉遣い、外では学べない多くのことを、「日体荏原高校」で学ぶことができました。そのおかげで念願の「日本体育大学」にも学内推薦枠に入り進学することができました。
学生のみなさん、目的を持たず生活している事は時間の無駄です。1分1秒を大切にする心は、今は分からないと思いますが、必ず近い将来実感する時が来ます。だから「夢」だけは持ち続けて下さい。
「夢」は絶対に自分を裏切りません。遠回りをしても振り返ってみたらそれが近道だったりすることもあります。みなさん、前進あるのみです。 |
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医学博士
鶴見歯科学園理事長
鶴見 輝彦さん
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| 昭和9年卒業 |
「進学生、大志を抱け!!」
荏原中学校(現在の日体荏原高等学校)を昭和9年に卒業し、今年91歳になります。今も現役で後輩の指導ができる基は、高等学校の3年間だったと思っています。
身体の基礎作りの3年間を日体荏原高校で鍛える事が一番、“知育・徳育・体育”の校訓は教育の原点だと思います。
進学をする皆さん、これから過ごす3年間は極めて貴重な時期です。いたずらに受験競争に振り回されること無く、まず自分を見つめ、自分を磨ける、高等学校に進んでください。 |
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プロゴルファー
小林 富士夫さん
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昭和38年卒業
野球部 |
「初心忘れるべからず」
私はレギュラーになれませんでしたが荏原高校野球部での3年間はその後の人生において大変多くの事を学ばせて頂いた事を心から感謝しています。3年間2軍での練習の毎日でしたが、そこで教訓として辛いことでも辛抱する。何事も最後まで諦めずにやり抜くということでした。
私は現在プロゴルファーとして頑張っておりますが、ここまで現役でいられるのも荏原高校野球部での猛練習で鍛えられた精神力、そして体力の賜物であると思います。
特に印象に残っている優勝としては、初めて4日間の試合で勝ったブリジストンオープン、中嶋常幸選手とのプレーオフで勝った日本プロ選手権、そして2001年に高橋勝成選手とのプレーオフで勝った日本シニアオープン選手権です。あと2勝で通算300勝になりますので目標を高く持ちながら今後も歴史と伝統のある荏原高校で培った精神力を持ち続けながら頑張っていきます。進学生のみなさん是非来てください。
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早稲田大学名誉教授
新保 昇一さん
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| 昭和23年卒業 |
みなさんを日体荏原高校は待っています。
人生において、知と徳だけでは、人は遂によく事に堪え、物を遂げることはできません。それは体育に励むことによって培われた体力と、強靭な精神力を併せ持つことによって、はじめて可能になります。
新入生の皆さんは、進んで部活動に入り、学業に打ち込むかたわら、肉体と精神の練磨に励んで下さい。人生の苦難を克服する力や感謝の念を大切にする心が日体荏原高校で培われるはずです。 |
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良い学校とは、生徒一人一人を大切にし、切磋琢磨、共に喜び共に悲しむ教師のもと基礎基本をしっかり築き合える仲間づくりのできる学校だと思っております。
これは私の教職経験から得た結論です。東大、早慶上理何名合格だけが良い高校のバロメーターではありません。あくまでも自分を発揮でき元気に三年間の高校生活を送れる学校、それが良い学校なのです。悔いの無い選択を望んでいます。 |
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セントラルリーグ審判部長
小林 毅二さん
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昭和40年卒業
野球部 |
荏原高校を卒業して42年になります。当時、硬式野球部が全盛期でしたが、目指す甲子園には出場できませんでしたが、翌年後輩が甲子園出場を決めたのを覚えています。
私は、その後大学から社会人になり昭和47年にセントラル野球連盟審判部に入り、現在ではセントラルリーグ審判部長を務めています。その間、出場試合2898試合、日本シリーズ12回出場、オールスター6回出場しています。
現在でも荏原高校は部活動が盛んと聞いております。生徒がそれぞれの部で自分の技術を磨くことができる高校生活3年間は、人生の中で一番大切な時期です。是非、進路を自分で決めてチャレンジしてください。 |
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慶応大学
ラグビー日本代表
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小谷 清さん
昭和23年卒業 |
「成せば成る!!」
母校(日体荏原高校)は100余年の歴史を持っています。卒業生は約3万名ですが、スポーツ界を始め政治、経済、教育界など、各界での活躍を知ることができます。
私は卒業後、大学に進み、ラグビー部に入り、更に体を鍛える為に練習を行いました。しかし、世界の強豪、オックスフォード大やケンブッジ大との試合で相手選手に力負けし、試合にはなりませんでした。しかし技術力で勝負すると勝つことができました。やっぱり成せば成る!
日体荏原高校時代は、暑さに耐えた夏の合宿や日が暮れるまでの部活の練習を通して、皆で協力し、一つのことに向かうチームプレー、団結力、最後まで挫けずにやり抜く強い精神力、逞しく生きる健康や身体、共に認め合い励まし合う思いやりの心などを身につける事ができました。日体荏原高校は学ぶに相応しい学校だと思います。
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日本知的障害者
バスケットボール監督
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小川 直樹さん
昭和59年卒業 |
日体荏原高校を卒業後、日体大から日本綱管(株)へ入社しました。その後社会人バスケットボールの日本代表ナショナルチームで選手・ヘッドコーチを務め、現在は知的障害者バスケットボール監督をしています。
体に障害を持ちながらもスポーツに熱中する選手は素晴らしい精神力を持っています。我が母校は“知育・徳育・体育”の三拍子揃っていて、心身ともに成長できる学校だと思います。
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トランポリンシドニー五輪代表
中田 大輔さん
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平成4年卒業
トランポリンサークル |
日体荏原高校を卒業後、日本体育大学、大学院へと進みました。95年から全日本で7連覇、シドニー五輪12位、その後マッスルの舞台を終えバイクで帰宅途中に後方から来たワゴン車に追突され意識不明に。その事故から7ヶ月で奇跡の復活を果たしました。
復活できたのも、荏原高校の3年間で鍛えられた、精神力や諦めない気持ちがあったからだと思います。進学生のみなさん是非日体荏原高校へ来てください。厳しくも充実した3年間が待っていると思います。
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プロゴルファー
西川 哲さん |
昭和62年卒業
ゴルフ部 |
プロゴルファーを目指し日体荏原高校に入った。先輩後輩の厳しい時代を過ごし礼儀や団結の大切さを学んだ。また素敵な先輩や後輩にも出会うことができた。
日体荏原高校の教育は、厳しさの中にも愛情があるそんな学校だと思う。新入生のみなさん私の母校である日体荏原高校へいらしてください。
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神主
相模國一之宮 寒川神社
田中 喜隆さん |
平成4年卒業
弓道部 |
神主というと神社の清掃やお祓いのイメージが強いと思いますが、私は高校時代に弓道でインターハイに出場した経験を活かし、馬に乗り弓矢で的を射る、流鏑馬という特殊な仕事もしています。世界の恒久平和を祈る神事です。
人を形成していく上で心と体を鍛えるのは言うまでもありません。高校生活は社会に出る前の大切な3年間ですから、より良い環境で学んで欲しいと思います。日体荏原高校はそんな環境が揃っていたと感謝しております。 |
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神奈川大学
人間科学部 教授
陸上競技部 監督
大後 栄治さん |
| 昭和58年卒業 |
「挨拶」を大切に。
「挨拶」は人間社会で、最も大切なことであると思います。この事を心身にしみ込ませてくれたのが、日体荏原高校でした。
体育教師を目指して日本体育大学へ進学しましたが、現在は神奈川大学にて教鞭をとりながら、陸上競技部の監督を務めています。箱根駅伝をはじめ、過去数回の優勝を経験することができました。そのプロセスに於いて強く感じたのは「人間力」の重要性です。日体荏原高校で人間性を磨いてください。この学舎には、チャンスが沢山ころがっています。 |
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元読売巨人軍
萩原 康弘さん |
昭和41年卒業
野球部 |
「入学される皆さんを待っています!!」
私の人生に一番大きな影響を与えてくれた日体荏原高校に感謝しております。
日体荏原高校は学問や運動が盛んで、先生方はとても熱心です。
高校の3年間は、今まで続けてきた事を継続したり、新しい事に挑戦したりする事が大切です。それには日体荏原高校が一番だと思います。沢山の良き指導者(先生・コーチ)が皆さんを待っています。厳しい中にも楽しい高校生活が送れると思います。
是非、日体荏原高校へ来てください。 |
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サッカー日本代表
アスレティックトレーナー
前田 弘さん |
昭和59年卒業
野球部 |
日体荏原高校の野球部で学んだ3年間は充実した毎日でした。辛い毎日でしたが部員同士お互いに励ましあいながら過ごしました。また素晴らしい先生方・友に出会えた事も頑張れた理由だと思います。
日体荏原高校では忍耐力だけでなく、人として当たり前の事「礼儀(挨拶)」を教えてもらいました。先日、母校を訪れた際、すれ違う生徒から「こんにちは」と大きな挨拶をもらい、昔と変わらぬ学校に感激しました。
私はトレーナーとして「2010年のワールドカップ」という夢に向かって頑張っています。みなさんも日体荏原高校で夢を見つけてください。 |
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元大田区役所副収入役
松井 陽一さん |
昭和23年卒業
バレーボール部 |
身体と精神力を鍛えて頂いたのが日体荏原高校です。病気もせず、大田区役所副収入役、監査事務局長を最後に41年務めることができました。どんなに偉くなった人でも、健康を害すれば、全て終わりです。人生は健康でなければならない。それに応えてくれる学舎こそ日体荏原高校なのです。
進学される諸君、これからの3年間は、人生で一番大切な時期であります。心と体を鍛え、自立心を磨ける日体荏原高校に入学されることを願っております。 |
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NHKラジオ・テレビ
体操指導者
多胡 肇さん |
| 昭和60年卒業 |
「夢を諦めずに自分を信じて」
日体荏原高校から日本体育大学に進み、スポーツクラブでインストラクターを勤め、その後プロ野球・西武ライオンズでトレーニングコーチを経て現在に至ります。
高校の3年間は人生の大きな方向性を決定づける大切な時期です。物事はすべて良い方向に進むとは限りませんが、反対に失敗や挫折からの方が逆に多くの事を学べるものです。これからの3年間、失敗など恐れずに様々なことにチャレンジして自分を鍛え上げてください。
それに相応しく最適といえる環境が日体荏原高校にはあります。夢を諦めず自分を信じて頑張ってください。 |
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日本体育大学准教授
馬場 進一郎さん |
昭和53年卒業
野球部/陸上競技部 |
人生のライフステージにおいて、高等学校の3年間はこれから歩むべき方向づけが検討される重要な時期です。自身に適した環境に身を置くことで、一層人間性が磨かれ個性が伸長されることと思います。
体育人を志していた私にとって日体荏原高校での在学は、スポーツと勉強に打ち込める最高の環境でした。部活動や進路での苦悩もありましたが、先生方の熱意ある指導や、先輩、仲間に支えられ、新たな目標をもって精進することができました。高校生活を通じ培った気力、精神力、そしてものの見方や考え方は、今でも大きな財産となっています。
生徒の皆さんは無限の可能性を持っています。名門校で学べる喜びを感じ、興味や関心、夢中になれることに前向きに取り組み、自信と誇りを持って将来へチャレンジされる事を期待しています。 |
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元読売巨人軍
原田 治明さん |
昭和41年卒業
野球部 |
読売巨人軍に36年間勤め、定年で退職をしました。その間、選手・コーチ・寮長・スカウトといった職務を全うしてきましたが、日体荏原高校で過ごした3年間は、とても思い出深く残っています。
当時の日体荏原高校は東京都でベスト8に入れるくらいの実力でした。私が3年生のとき、念願の春の甲子園出場を決めました。残念ながらPL学園に一回戦負けしましたが、春季大会優勝、関東大会優勝と素晴らしい成績を収めることができました。
今でも、当時の野球部員と年に1回は集まり、当時の話で花が咲き楽しく過ごしております。その時の仲間が私の宝です。日体荏原高校には、そういった大切な出会いや経験が沢山まっています。みなさんも是非日体荏原高校で充実した3年間を過ごしてください。 |
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武蔵野東学園教諭
‘04ライフセービング
アジア選手権
ビーチフラッグス優勝
北矢 宗志さん |
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私は日体荏原高校を卒業し、日本体育大学に進学しました。高校入学当初から教師への夢を持ち続け、現在教壇に立たせて頂いています。日体荏原高校では、かけがえのない貴重な経験と共に、一生の宝を手に入れることができました。それは仲間です。現在でも励まし、時に叱ってくれる仲間は私の最高の宝です。また建学の精神に基づいた先生方の熱いご指導から社会で生きる力強さを学びました。
皆さん、日体荏原高校での3年間は皆さんの一生をより充実したものにしてくれるはずです。胸を張り、誇りを持って日体荏原高校で様々な事にチャレンジしてください。 |
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日本体育大学教授
ハンドボール部 監督
ロサンゼルス五輪代表
松井 幸嗣さん |
昭和51年卒業
ハンドボール部 |
日体荏原高校ではハンドボール部に入部していました。関東大会初出場、初優勝を経験させて頂きました。卒業後は日本体育大学へ入学し、その後、栃木県・千葉県の教員を経て現在に至っております。
大学時代に全日本インカレ3連覇、教員時代に第23回アジア競技大会、第9回ロサンゼルス五輪を経験しました。このような素晴らしい経験ができたのも、日体荏原高校での3年間の生活があったからこそと思っています。高校在学中には、全てにおいて挑戦する姿勢を見守り、生徒の立場で親身になって相談にのってくれた先生方、心身ともに苦しい時、お互いに助け合った同級生や仲間。その全てが私に素晴らしい経験をもたらし、今の私の基盤になっています。
受験生、新入生の皆さんには何事においても常にチャレンジをする姿勢を持って欲しいと思います。何もしないで後悔するより、行動してみて失敗(成功するかもしれない)して後悔したほうが、自分の人生においても大切な事です。日体荏原高校はチャレンジ精神を充分に発揮できる学校です。3年間できる事を精一杯頑張ってください。 |
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東京フードセンター(株)
取締役会長
小湊 信さん |
昭和47年卒業
スキー部 |
日体荏原高校は、私と息子、一家で3人がお世話になりました。在学中はスキー部でインターハイ優勝を目指し、勉強そっちのけで部活に熱中したことを今でもはっきり記憶しております。卒業後、日本体育大学に進学し、怪我によりスキーは断念しましたが、アルバイトに励み、そこでお金を得る喜びをしりました。それが功を奏したのか、大学4年在学中にビル管理の会社を設立し経営者として歩み始めました。
もともと全てにのめり込む性格ではありましたが、スキーに熱中した在学中に、誰にも負けたくないと思う気持ちが形成されたと今は思っています。日体荏原高校は、みなさんの将来にプラスになる経験ができる学校です。目標をもって精一杯頑張ってください。 |
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中央学院大学
硬式野球部コーチ
金子 亨さん |
| 野球部 |
甲子園に出場したいと思い、野球部の名門、日体荏原高校に入学しました。私はレギュラーになれませんでしたが、技術はもちろん、最後まで諦めずに一つの事をやり抜くという事を学びました。そのおかげで大学の野球部では、1年からメンバーに選ばれレギュラーとして活躍し4年間やり抜く事ができました。
現在、私は母校で野球を指導する立場にありますが、日体荏原高校で学んだ3年間があったからこそ今の私があると思います。進学生のみなさん、日体荏原高校は、人間としてとても成長できる高校です。私も将来みなさんとお会いできる日を楽しみにしています。
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明治大学商学部准教授
前明治大学野球部監督
川口 啓太さん |
昭和47年卒業
野球部 |
「夢・仲間!!」
私は転校生として日体荏原高校に編入学しました。当初、不安で充たされない日々を送っていましたが、それを払拭してくれたのが、伝統ある野球部でした。そしてそこで、かけがえのない「仲間」に出会いました。また生徒それぞれの「長所」を見抜いて下さる先生方にも大変お世話になりました。
新入生のみなさん!「夢」をかなえる為に、時に厳しく、時に優しく、暖かく接してくれる先生方と一緒に、自らの夢実現に邁進してください。そして卒業後も長く交流のできる素晴らしい「仲間」を探してください。日体荏原高校はそれができる学校です。3年間粘り強く頑張ってください。 |
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